春分の日はご祖先のために。皇室の先祖の祭りについて
今日は春分の日。
春のお彼岸の中日でもあり、お墓参りをなさる方も多いでしょう。
神社の側には共同墓地がありまして、雨の中、お墓参りをなさるご家族も多かったです。
さて私達の先祖の供養、お祭りというと、やはりお墓参りが多いでしょう。
では、皇室のご祖先のお祭りはどうでしょうか?
春分の日に、皇居では「春季皇霊祭・春季神殿祭」が行われます。
春季皇霊祭は、毎年春分の日に皇霊殿において、歴代の天皇、皇后、皇族方をご追慕のためご親祭になる祭儀です。
皇室ならびに国家、国民の繁栄と幸福を親しくご祈願になるものでもありあす。
春季神殿祭は、皇霊祭に続いて行われ、神殿においてご親祭になる祭儀で、同様に、皇室ならびに国家、国民の繁栄と幸福を親しくご祈願になるものです。
皇霊の祭祀は、古くから行われています。
平安中期からは京都御所のお黒戸(おくろど)の間で、仏式によって行われました。
明治の初年、歴代天皇の位牌は、京都東山泉涌寺(せんにゅうじ)に移されましたが、歴代天皇の命日の祭り、すなわち「正辰祭(しょうしんさい)」は明治3年2月からは神祇官の手によって行われました。
皇霊祭は、歴代天皇や皇后、皇族を祀る祭典ですが、皇室で皇霊祭を行うようになったのは、皇霊が神祇官から宮中に遷座された明治4年(1871)9月30日以降のことです。
当初は歴代の天皇のご命日ごとに行われていましたが、明治7年(1874)小河一敏(おごう かずとし)という太政官から「我が国は革命の国とは違って万世一系であり、これからも続いていくわけだが、天皇はもちろん皇族に至るまでご命日ごとに祭典を行っていたら、一年中祭祀を続けることになってしまう。あまりにも数が多いと崇敬の念が薄らいでしまうと思われるので考える必要があるのではないか」という建議が出されました。
この建議を受ける形で明治11年(1978)6月5日に、春分の日と秋分の日の二回、神武天皇と先帝、その三代の天皇、先后を除くすべての天皇・皇族を一緒に祀る皇霊祭が行われることになったのです。
一方、神殿祭も明治5年(1872)11月29日に八神と八百万の神を合祀して神殿と称して依頼、祭典が行われきたが、この太政官達によって春分の日と秋分の日に、皇霊祭に引き続いて神殿祭として行われるようになりました。
しかし実際には、旧暦から新暦に置き換えられたこともあって、明治12年(1979)3月21日から毎年、春分の日と秋分の日に皇霊祭と神殿祭が行われるようになり、いずれの祭典も大祭であります。 当日、天皇陛下が黄櫨染御袍でまず皇霊殿で拝礼して、御告文を奏上して退出されると、御小袿、御長袴の皇后、黄丹袍の皇太子、小袿、長袴の皇太子妃の順では異例されますが、この祭祀には内閣総理大臣、周産両議院議長、最高裁長官、各国務大臣らも参列します。 しかし昇殿されるのは天皇皇后、皇太子同妃のみでほかの皇族や内閣総理大臣などの参列者も前庭の幄舎で祭典を見守ります。
天皇皇后、皇太子同妃が退出されたあと参列者が1人ずつ木階の下から拝礼します。
皇霊殿に祀られている皇室のご祖先はそれぞれの時代に天照大御神の御心を常に念頭において平穏を祈り続けてこられたわけですが、春、秋の皇霊祭とも大祭として執り行われるのは、天皇を始めこの祭典に参加される全ての皇族がご祖先のお心を肝に銘じて務めていることをご報告し、決意をあらたにされる意味合いもあるとされています。
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