神社検定 予想問題 2級 第二回目(3/6 AM7:30修正)




平成25年6月2日(日)に、第二回神社検定が実施されます。
現在、テキストと、第一回目の過去問が発売されています。
しかし練習問題はなく、勉強熱心な受験者の方のなかには、練習問題で腕試しをしたいという方がいらっしゃいます。
なので非公式で神社検定、予想問題、練習問題を作成しました。
今の自分の実力を確かめていただければ、と思いますm(_ _)m

また過去に作成した3級相当の練習問題もどうぞ( ´∀`)つ


3級相当
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「神社検定公式テキスト3『神社のいろは 続(つづき)』 」



◇問6
5~6世紀にかけて、大和朝廷は氏姓制度を作り上げて来ました。
豪族たちは血縁などの関係をもとに構成された「氏」と呼ばれる集団を編成して、首長を「氏上」それ以外を「氏人」といいました。
そして氏上は氏上を率先して「①」の祭祀もおこない、それ以外にもその土地の神を祀る「②」の祭祀も行なってきたようです。
括弧内①と②の組み合わせとして、適当なものを次のうちから選びなさい。

1:①氏神   ②産土神
2:①氏神   ②天照大神
3:②産土神  ②天照大神
4:①天照大神 ③氏神 


◇問7
第29代欽明天皇の時代に、医術・易・暦などのほかに仏教も伝わりました。
伝来当時、仏教で悟りを開いた者を指す”仏”は、在来の神に対して「外国の神」と受け取られていたようです。
この「外国の神」を何と言うか、適当なものを次のうちから選びなさい。

1:八幡神
2:蛇神
3:蕃神
4:外神


◇問8
次の説明文を読み、該当する人物を次のうちから選びなさい。
『冠位十二階や十七条憲法がさだめられた。
 (諸説ありますが)中国の皇帝の従属した地位を示す”王”から、日本独自の”天皇”へと称号を改められてとされ、”日出処の天子”を自称し、自立した国家として歩み始めようとしたという説もあります。
 ”天皇記””国記”の国史の編纂も行われましたが、後の乙巳の変にて消失。
 第30代敏達天皇の后であった。』

1:聖徳太子
2:蘇我馬子
3:崇峻天皇
4:推古天皇


◇問9
仏教が伝来し、6世紀末頃になると、初めて文献上に「神道」という用語が見出されました。
次の二つの記述がある文献の組み合わせとして、適当なものを次のうちから選びなさい。
①「天皇、仏法を信けたまい、神道を尊びたまう」
②「天皇(中略)、仏法を尊び、神道を軽りたまう」

1;①用明天皇記  ②孝徳天皇記
2:①用明天皇記  ②推古天皇記
3:①用明天皇記  ②日本書紀
4:①日本書紀   ②推古天皇記


◇問10
次の「天皇」と「関連する出来事」の組み合わせを、時代の古いものから並べ替えた場合、適当なものを次のうちから選びなさい。

①天武天皇:「壬申の乱。飛鳥涼御原宮で即位」
②文武天皇:「大宝律令を完成。年号が実際に使われだした。対外的に”日本”の国号が正式にもちいられた」
③天智天皇:「大津京へ遷都し即位。最初の戸籍・庚午年籍を作成し、近江令を完成させ施行」
④持統天皇:「飛鳥涼御原令を施行し、天皇の称号も令で正式に規定。日本最初の本格的な都城である藤原京へと遷都された」


1:②→③→①→②
2:③→①→④→②
3:③→④→①→②
4:④→②→①→③







解答&説明

◇問6 答え:1
◇問7 答え:3
他にも「今来神(いまきのかみ)」「仏神」とも呼ばれていたようです。
また当時、仏教の受け入れに対して、蘇我稲目(そがのいなめ)は推進派、物部尾輿(もののべおこし)と中臣鎌足は反対派として対立していた。

◇問8 答え:4
◇問9 答え:1
また「惟神も我が子治らさむと故寄させき。ここを以て、天地の初より、君臨すくになり」と「惟神」という用語も見られます。
「神のまま」「神として」「神であるがゆえ」「神のご意思のまま」などと開削されますが、神道が天皇統治の根源にかかわるものとして示されています。

◇問10 答え2
第38代天智天皇。第40代天武天皇。第41代持統天皇。第42第
文武天皇。








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